『SCMの真髄を追い求める旅へ』

〜とあるベテランSCMコンサルタントの独白〜 35年以上の経験を持つSCMコンサルタントがこれまで言わなかった本当のことを語り尽くす!

2-3-3.業界内、業界間、社会連携での取組み(その4)

2-3-3-4.第二部のまとめ:できることはまだある

私がこのような深刻な危機感を持つようになったのはなぜなのか少しお話しすることにします。
私の社会人としてのキャリアをスタートさせたのはとあるメーカー企業の物流部門に配属されたところからでした。
その企業での物流部門の役割は製造部門、営業部門、マーケティング部門、調達部門それぞれとの調整役として「製販会議」と呼んでいた会議体を主催し需要と供給のバランスをいかに取るかということでした。

その後コンサルティング会社に転職しそれまでの自分の経験や知識をもとにして主にSCMの領域に関する案件を担当するようになりました。今思い返すと当初はコンサルタントというよりはメーカーのSCM部門の担当者の延長線上のような感覚でいかに目の前のトレードオフの矛盾を調整して何とか辻褄を合わせて「軟着陸」させるかということだけに腐心していたように思います。
それが大きく転換しなくてはいけないという気付きが起きたのが2008年から翌年にかけて発生した「リーマンショック」でした。

ご存じのように海外の金融機関の破綻に端を発したグローバル経済全体を襲った急激で激烈な景気後退により、世界中の多くの産業全体に大きな影響を与えた事件でした。日本における製造業にも景気後退、売上高の激減、製造調整、雇用調整など様々な影響を与えることになりました。
その時にはこれまでのような辻褄を合わせることだけに囚われていてはこの目の前の課題を解決することはできないのではないか、これまでのように「それでも何とかなる」ことは不可能なのではないかという思いに至りました。
何か根本的で構造的な矛盾を把握してそれに対して単なる惰性ではなく的確な打ち手を出さない限りは乗り越えられないのではないかと。

当時クライアント企業様のSCMの現場では「アクセルとブレーキ」という表現が流行のようによく使われていました。
予期しなかった急激な景気の減速に対して自社のSCMも減速する必要があることは認識しているが、どれくらいの強さと勢いでブレーキを踏むべきか、いつまで踏むべきか、そしていつどれくらいの力でアクセルを吹かすことに移行するかという文脈でした。
このような自動車運転へのたとえがどこからともなく発生したことには何か意味があるのではないかと、結果としてはこれが何を表しているかを解明する試みからスタートすることになりました。

自動車を運転する時には「スピードメーター」や「タコメーター」で今現在のスピードやエンジンの回転数を把握しながら、道路状況に応じてアクセルとブレーキを使ってスピードの調整を行います。
これは物理的な運動の世界を制御するために必要なツールでありそれを参考にした運転技術の駆使ということになります。
私たちSCMの世界に置き換えるとこれは三階建てモデルの一階部分に相当する「モノ/数量の世界」を正確にとらえるためのツールと位置付けられます。
 
しかし現在の一般的な自動車にはいわゆる「エコ運転」を評価するような仕組みが加わり、燃料の消費が効率的に行われるような燃費をよくするような運転を行えば良い評価が下されるようになりました。以前の自動車にはなかったこのような機能はいったい何を意味しているのかということに思いを巡らしたときに、SCMの世界においてもこのような新しい価値観や目的に対する新しい何らかの指標を設定して評価するということが必要なのではないかという考えに至りました。

これによりSCMの世界を三階建てとしてモデル化して、単に数量のPSIだけではなくそれに連動しているはずの「カネ/金額の世界」と「ビジネス/指標の世界」を一体化して表現し評価できるようにするという発想が生まれました。
そしてそれを構築するためには、データ化、ロジック化などの事前準備と適切な指標の設定や運用プロセスの設計などを含めたこの第二章で検討してきた内容が必要だと結論づけることになりました。

更には昨今の地球環境の大きな変化に起因する持続可能性の議論や、国際紛争やコロナ禍、ダイバーシティや人権問題への対応などをどのような形でこのモデルに関連付けるのかという発想で、経済効率性の追求に対する社会的責任を並列的に配置してモデル化するという姿を模索することになりました。

リーマンショックという個別の事件とそのSCMへの影響を契機として、それがどのような構造を持っていてどのようなメカニズムで機能するのかという発想を持って俯瞰して眺めることができたということが自分なりの新しい発想のもとにたったということができます。
 
これまでにも再三にわたって述べてきましたが、この先の変化は量的に大きく質的にこれまでとは異なったものが急激な速度で到来することが予想されます。その中で私たちがSCMという武器をいかにうまく利用して「しぶとく」生き残っていくことができるのかは生存競争そのものと言うことができるのではないかと思います。のんびりと他責にしている場合ではないということを皆さんと共有したいと切に願います。

未来に向けた希望がもしまだ持てるとしたら、これまでやってきたことや成功体験はすべて捨て去ってでも、このような大きな物語に通じるこれまでにない活動を少しでも前に進めようと努力することの中にしかないような気がしています。
 
もしそれができないとしたらSCMによっては明るい未来への希望は持てないということになるのではないかと思います。
そして確率論者としての私は、未来に希望が持てる確率がどれくらいだろうと冷静に見極めようとしていますが、まだどれくらいの確率なのかは現時点でも判断しかねる状況にあります。

未来に向けて「やるべきこと」は山積みとなっていますが、その中でも私たちに「できること」はまだまだあると捉えて前に進んでいく道を選んでいくことができるでしょうか?


それではこの先の世界がどのような方向にどれくらい進んでいくのか、またその中で人間がどのように生きていくことになるのかということについて次の第三部で楽しく妄想してみたいと思います。