2-3-1.全員が腹をくくる、ことができるか?
「腹をくくる」という言葉があります。「腹」は昔から人間の本当の心や考えがあるとされた体の部分です。「くくる」とは物事を一つにまとめるという意味です。本当の心や考えをひとまとめにして「覚悟を決める」ことの慣用句として使われます。「意を決する」と言い換えることもできます。これまでとは違う新しい何かに一歩を踏み出す時や困難であると分かっている状況に敢えて飛び込んでいくような時に使われることが多いようです。
私たちはここに及んでこの言葉をいよいよ使うべき地点までたどり着いたのではないかと思います。
2-3-1-1.覚悟を決めるべき対象:What
日本の製造業や流通業におけるSCMはこれまで得てして中途半端に終始することも多かったと考えられます。皆さんにとってのSCMは理想に近づけるような形で進化し続けているでしょうか。それともあまりにもハードルが高すぎて現実路線とも言える妥協の産物のような状態にとどまっていないでしょうか。
生物の進化は必ずしも先に進んだほうが種の保存にとって有利であるとは限らず、進化の袋小路に入り込んでしまえば絶滅に至ることもあったようです。
しかし今の環境が大きく変化するような局面ではその場に留まるか先へ進むかのどちらかを選択すべき時だと言えます。
皆さんのサプライチェーンがおかれている状況がこれから当面は安泰だと言える場合は敢えて何かを変えてまでリスクを冒す必要は少ないでしょう。そうではなくて大きな環境変化が予想されているのだとしたら、先送りするのではなく何かを決断し早く行動に着手するほうがリスクの軽減をもたらすことになるのではないでしょうか。
何も行動を起こさないでいることにリスクがあるような状況だとしても、行動を起こす決断をするためには「勝算」がなくてはいけません。勝算がないのに強硬突破することは玉砕を引き起こすことになりかねません。
勝算とは単純化すれば「リターン ≧ リスク」の状態だと言えます。リターンがリスクに満たない場合にはその案には乗るべきではないということになります。以下の検討では勝算がある場合、オプション案のどれかに勝算があると合意できる場合のみを対象とすることにします。
「2-1-1-1.二つのトレードオフ関係」で検討したように、SCMはただでさえ経済効率性の追求という難しいミッションの実現を求められていることに加えて、社会的責任を全うすることに対する要請がますます高まっています。サービス水準を上げることと社会的責任を果たすための対応を行うことと同時に利益を上げることをその役割として求められています。
この状況を適切にとらえるとこれは諦めて泣き寝入りせざるを得ない状況と言ってもいいのではないかと思えるくらいです。
しかしそこで踏みとどまって一歩前に進んでいくことを選択する場合には、それ相応の覚悟を持って行動を起こさないことにはかえって中途半端に二兎を追うことにもなりかねないとも考えられます。
もし覚悟を決められないなら敢えて何もしない戦略を採用してエネルギーを温存して来るべき時を待つほうが得策ではないかと思います。
もし積極的にSCMとして何かに挑戦するという選択をする場合には、何に対して覚悟を決めることが必要なのでしょうか。
二つのトレードオフ関係に即して検討してみることにしましょう。
まず初めに経済効率性についてです。
SCMの活動は私が社会人になってこれに携わるずっと以前から「コストの山」からコストをゴリゴリと削って効率化を進めるというものでした。そのための手法としては「買い叩き」とそれに対応するための徹底した「ムダ、ムラ、ムリ(3M)」の排除による効率化、合理化の推進です。
たしかに当時は経済全体が右肩上がりでコストは二の次とされていた高度経済成長期の続きとして、効率化によるコスト削減の余地はまだまだ各所に残っていたという印象があります。それが本格的にSCMという概念が日本に導入されることになると、この手法が単にコスト削減のための効率化手法と化してしまった感があります。
現にSCM特に物流工程における「JIT」が「Just On Time(時間指定)」へ移行したことに象徴されるように流通や顧客などの要請に応じてサービス水準を高めることで何とか競争優位性を確保しようと努めてきました。
しかし、それと同時にコスト削減も推し進めなくてはならないという状況があり、本来はトレードオフ関係のはずのサービス水準と利益水準を同時にどちらも追及することが当たり前となっていました。SCMを担当する部署は「頑張ってどちらも達成させます」と苦し紛れとも思えるような安請け合いをしてきたとも言えそうです。
本来は当たり前ではないことを継続してやらなければならない状況は、必ずどこかにしわ寄せがいったり不正行為の温床になったりするものです。現在でも会社ぐるみでの不正行為が数十年と続けられていたということが発覚して、社会的な制裁を受けるケースが散見するのはこのようなメカニズムだと考えられます。
しかしこのような無理矛盾にはいつか限界が来るもので、ある時点からはサプライチェーンにおけるコスト削減は「乾いた雑巾を絞る」と言われるような水準にまで達した業界も出てきました。サービス水準と利益水準を同時にどちらも追及することがさすがに不可能になって来たというところでしょうか。
したがって、これからはますますSCMの改革は「痛みを伴う」ものとならざるを得ないと言えそうです。何を覚悟する必要があるかというと経済効率性のさらなる追求のために既得権にメスを入れて「出血する」ことを覚悟する時代に突入しているということではないでしょうか。これには「2024年問題」というSCMにとってはある意味で政策レベルの追い風が吹き始めたということも相まって社会的状況としてより受容される環境になって来たとも言えます。
「1-2-3-5.失地回復を求めさせないためには」で検討したように既得権を喪う人たちが現れるということは並大抵の波風ではないはずです。場合によっては激しい抵抗が生じることもあり得ます。
サプライチェーンという雑巾に一滴の水分も残っていないくらいに乾いたからといって、他の何かから水分を搾り取ったりあるいは何かの方法で他の何かから水分自体を補給するということは、奪われる人たちにとってみては死活問題で何としても徹底抗戦すべきものとして捉えられてもおかしくありません。
それでも自分たちが勝ち残っていくためにはそこまで手を入れなくてはいけないという状況に置かれているのであれば、敢えてそこまで断行することが求められることになり、そのためには今までのような進め方ではなくて「腹をくくって」経済効率性の追求のための更なる工夫に本気で取り組むことがますます必要になると考えられます。
次にトレードオフ関係を構成するもう一つの要素である社会的責任についてはどうでしょうか。
地球環境問題や人権問題への対応、あるいは高まるリスクに備えた供給責任などについてはもはや見て見ぬふりでは済まされず、やらないという選択肢は既にないという状況になっています。やらざるを得ないということになれば、中途半端に形だけやったふりをしているだけだと中途半端にコストが上昇することになるでしょう。積極的な意味や効果を出すのであれば、本気で取り組まないことには社会的な責任を果たすことにはならないと思われます。
社会的責任を全うするような対応を行うということは最終的にはコスト上昇を伴い経済効率性を落とすことになります。このような判断はまさに経営者による経営判断そのものと言えるでしょう。
経済効率性を落としてでも実行しなくてはならないほど社会的責任を果たすことは避けて通れないことだとすると「転んでもただは起きない」ためには何かを得るという効果を期待することになります。
植林をしたりゴミを拾ったり持続可能エネルギーに転換したり調達先を変更したり、大手企業は既に着手していることを盛んにアピールしています。これは単にイメージ戦略だけではなく(実際にはどれだけの実効があるかは把握していませんが)ESG投資による株価上昇であったり人材採用におけるメリットなど他にも狙いは様々あるのではないでしょうか。
もしこのような期待効果を確実に得るためにも、やったふりだけではなく本気で継続的に取り組んでいるということが社会に対して伝わる必要があります。
やはり社会的責任の全うのためにも「腹をくくった」本気の取り組みが必要になると考えられるのです。
経済効率性にしても社会的責任にしても今までの延長線上ではなく何か質的に異なる別次元とも言えるような行動を起こすことを決意するのに加えて、どのような手段でそれを実行するのかということについても「腹をくくる」必要がありそうです。
たとえば、これまでのSCMでは徹底的なコスト削減を目指していたとすれば、今からさらに経済効率性の観点で利益水準を高めるために求められることの例としては、トップラインとしての売上高の拡大にいかにSCMが貢献できるかということが想定できます。搾り取るだけではなくてその限界があるなら水分を補給するというたとえになるでしょうか。
その実現のためにはこれまでとは質的に異なるような密接な連携をマーケティングや営業部門と行い、戦略や戦術を立ててどのような物語として売上高の拡大に繋げるかというこれまでにない議論が必要でしょう。(「2-1-1-2.サプライチェーンのマネジメントで目指すこと」参照)
また経済効率性も社会的責任もどちらもその効果をより大きくするためには、自社単体だけではなくある程度の社外との協力や協調などを模索する必要があるでしょう。外部との何らかの活動を継続的に効果的に実施するためには当然のことながら場当たり的な活動ではなく不退転の決意をもって臨むことが重要でしょう。
外部と協力して何らかの活動を行うことになるということは、ある意味では外部を不可抗力として利用するということもできるのではないかと思います。自社単独だとなかなか徹底できないことも外部と協力するとなると自社としての役割や責任を果たすことが求められるという状況に自らを追い込むことになるという側面です。
この点については、2-3-2や2-3-3で詳しく検討することにしたいと思います。