『SCMの真髄を追い求める旅へ』

〜とあるベテランSCMコンサルタントの独白〜 35年以上の経験を持つSCMコンサルタントがこれまで言わなかった本当のことを語り尽くす!

1-2-2.超えられない3つの障壁②「ゼロサムの壁」:構造的原因(その3)

1-2-2-5.部分不最適=損することを受入れられるか?

 

ゼロサムという視点からSCMを見ると全体最適はこのような式として表現できます。

 

全体最適部分最適+部分不最適

 

全体というのは全員(everyone)や全部(all)という意味ではなく、「全体としては(overall)」という意味として理解すべきでしょう。どこかの部分は不最適ということが必然というもののはずです。
このことが理解されない以上は、全体最適など空想上の産物のように存在しえない概念といえるでしょう。

 

分かりやすく言うと部分不最適とは、その部分が損をすることと言えます。
そこでは、ミッションや計画が達成できない、評価されない、これまでやって来たことができなくなる、成功体験を否定される、認めたくない変化を認めざるを得なくなる、など数値に変換できる定量的なものと数値化できない定性的なもののどちらもあり、どちらもそれを実現するのはそれ相応の抵抗があったり波風が立ったりするものでしょう。

 

取捨選択のための優先順位の変更とは、全体としての最善解を決定するために、どこでどれくらいの部分不最適=損を発生させるか、それを許容するかという判断なくしては実行できないものだと言えるのではないでしょうか。

 

伝統的な近江商人の知恵を表す有名な言葉として「三方良し」があります。売り手と買い手がともに満足し世間に対して貢献する、という現代でもとても大切にすべき考え方です。

 

私たちがここで検討しているゼロサム構造におけるSCMの世界ではこの表現を流用してこの優先順位の変更を捉えている必要があるのではないかと思います。
それはいわば「三方痛み分け」と表現すべき概念のあらたな導入です。
損のシェアと言ってもいいでしょう。Win-Winの対義語と言ってもいいでしょう。
経済的な成長期を終えて成熟期や衰退期を迎えている現在においては、なおさら重要で必須といっても過言ではない考え方ではないでしょうか。

 

誰か一人だけが損をするということがなかなか受け入れられないとしたら、複雑なトレードオフ関係のどこかでそれぞれが損をするということで全体が最適な状態になるような状態の組合せを受入れましょうということであれば実現可能でしょうか?
皆さんも少しその状態を想像してみて下さい。そういわれたら全体最適のために自分が損を受入れることができますか?
聖人であれば自己犠牲を続けることは可能でしょうが私たち普通の人間には困難なことでしょう。
あるいはそれ以外の方法や考え方で全体最適を実現することは可能でしょうか?

 

それを実現するために前提として必要なことはどのようなことでしょうか?
少なくとも関係するすべての人がサプライチェーン上の複雑なトレードオフ関係の中のどこで誰がどれだけ損や得をしているかが理解できるレベルで見えるようになっている必要があります。
 
見える化」という言葉も使い古されてきた感がありますが、SCMの領域では数値としてモデル化されていてそのメカニズム、特に複雑なトレードオフ関係が理解できるような「見える化」ができていないと意味がありません。
恐らくそこまで見える化ができているサプライチェーンはまだほとんどないのではないかと思っています。
それがなくては、公正、公平な判断ができる由もなく、納得して受け入れる人はいないでしょう。
 
使い古されたように感じる言葉が未だ実現できていないのに、他の新しい言葉に飛びつくのは止めましょう。

 

この数値化されたモデルのアイデアについては第2部で皆さんと一緒に検討することにします。

 

このセクションで議論してきた「ゼロサムの壁」が超えられないものだということに由来するSCMの道具や手法から導出される必然的な帰結は、以下のようになるというのが私の意見です。

 

「意思決定の基準となる優先順位を変更するためには全体最適を目的とすべきであり、それを実現するためには部分不最適=誰かが必ず損をするということを受入れなければならない」